美しい文章は決して盗まれない。
美しい文章に触れた時。
私もこんな文章を書いてみたいと思う。
その思いのままに
言葉を綴ってみるけど
読み返すと、やはり陳腐に感じる。
文章であっても私は
憧れる誰かに完全になれはしない。
それを思い知り、つきつめると
美しい文章とは
私が何を体験し、何を感じたか
感じる心を豊かにすることでしか
生まれないのだと悟るのです。
表面上の言い回しを真似しただけで
人の心を動かす文は作れやしない。
体裁、誹謗、中傷を恐れては
深い文章など、作れやしない。
一節、一節。
書くたびに、「私」を削り
「私」を残すのが本当の意味で書く人
そう、思いませんか?
だからね。
メディア上で例え、
私の文章がリライトされても
時間をかけて撮影した写真が転載されても
書いた人が「私」でなければ
それは盗まれません。
読み手はバカではないのでその文章が
あなたが生み出したのか、そうでないのか
そんなことくらい分かります。
人の心の表れである文章を
ただリライトしただけでは
書き手にファンもつかなければ
PVすら上がる訳がありません。
もはやそんな文章は
ただのフォントでしかない。
Web上で盗まれたとしても
読み手に感じる心がある限り
美しい文章は本当の意味で
盗まれることはないのです。
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