量子力学について学びたい。
私の母は本の虫である。
自宅には常におよそ4畳半ほどの部屋を
埋め尽くすほどの書籍が溢れていた。
ジャンルは偏りがあるが
日本史・世界史・精神哲学・心理学
古事記・西洋美術などが多かった。
そんな母の影響もあってか
私も幼い頃から本を眺めるのが好きだった。
10代の多感な時期になると
特に精神哲学、心理学、美術系に興味を持ち
私の脳内は大体この分野に支配されているように思う。
そのいっぽうで、科学・数学・物理学には
てんで興味を示さず、むしろ苦手意識を持っていた。
......なのだが。
私が好きな分野への理解を深めていくと
どうも量子力学という世界に行きつく。
そのことに最近になって気づいたのだ。
|スピリチュアルにハマった時期
思考は現実化する。
この言葉を耳にした方は多いのではないだろうか。
スピリチュアル界隈ではお馴染みの定説であるが、私はスピリチュアルがどういうものかを認識するずっと前から思考を現実化してきた経験がある。
例えば、小学校2年生の時に猫が欲しかった。
強く猫が欲しいと想像し、猫と暮らす毎日を想像していたら
翌日、母が野良猫を拾ってきたという経験。
欲しいおもちゃを想像していたら、仕事から帰ってきた父がそのおもちゃを買ってきてくれていたなど。欲しいと口にせず、想像しただけで現実を引き寄せていたのだ。そんな私の経験を「思考は現実化する」という言葉で明文化してくれたのがスピリチュアルという分野の書籍の数々であった。
以降、スピリチュアルが私の心の拠り所になり、学校や職場でうまくいかないことがあると、スピリチュアルの本を読んで自身の心の在り方を整えるのが私の習慣になっていた。だが、あまりにもスピリチュアルに偏りすぎるのも考えものだ。
例えば、願い事を叶えたいあまり神社巡りに必死になる。
好きな人を振り向かせたいがために占いに頼りまくる。
不安や恐れから放たれたいがために宗教に系統しすぎるなど。
このように目に見えない世界へすがるように依存してしまうのだ。
かくいう私も一時期、スピリチュアルにハマりすぎて妖精や天使、オーラが見えないものかと夜な夜な書籍に書いてある胡散臭い方法を実践したり、人知れずまじないをやってみたりしたこともある。
今の私から見ると、当時の私は決して素敵な女性とは言えない。
何せ、スピリチュアルという目には見えない世界を自分に都合の良い形で捉えて、依存していたからだ。叶えたい願いを放って、うまくいかないと「何故だ!?」と不安に駆られていた。大した努力もしていないのだから、当たり前である。
|スピリチュアルが苦手な時期
ひたすらにスピリチュアルに傾倒しまくった結果、一時期スピリチュアルが嫌いになった。当時、25歳前後の頃である。この時期は、フリーランスで生きることを目指してブログを始めた時期でもあるから、いわゆる自分の手で成功をつかんでいく経験に手応えを感じていた。
タロット占いや、スピリチュアリストにオーラを見てもらうよりも、毎日ブログを書いて、慣れないPC作業をやって、ビジネスを立ち上げるための企画書を作って......とモノをカタチにしていくことのほうが何倍も建設的とも思えたのだ。
もう一つ、苦手になったきっかけは母のスピリチュアル思考によるところが大きい。私の家は日蓮宗である。そのため、宗派の違う神社仏閣にお参りをすることに母は良い顔をしない。
仏教もキリスト教もイスラム教もそれぞれに宗派が違うだけで、元は同じ一つの教えであるのにどうして宗教が違うというだけで分離した考えを持つのだろうとも思っていた。私が宗派の違う神社仏閣にお参りをしただけでバチが当たるようなことは決してないはずなのに。
自身の信じるスピリチュアリズムが深すぎると、他の考えを認めないといった点がとくにスピリチュアル界では根強い気がする。母に限った話ではないのだ。こういう経験も相まって、一時期スピリチュアルが好きだけれど、苦手だという感覚を持っていた。
|知りたかったのは、量子力学だった。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、現在でも私の友人はスピリチュアルが好きな人が多い。知り合った当初はそんな話を一切していなかったのに、出会って何ヶ月、何年も経ってからそういう話が好きだと発覚することも少なくない。
しかし、そんな友人達の話でさえも共感しにくい部分が多い。
例えば彼女達は「水星逆行しているせいで、友達と喧嘩しちゃった」とよく言うのだ。これはもう言い換えれば「生理のせいでカリカリしてて彼氏と喧嘩しちゃった」と同じくらいの言い訳だと思う。まだ、生理のほうがわかりやすい。イライラしてしまう自分を水星のせいにするでない。
どうにもスピリチュアルという分野はいかんせん、フワッとしている。
そのため、それに傾倒する人々も発信の仕方が非常にフワッとしているのだ。
そもそも言語化せずに感性を磨くことを修練するのがスピリチュアルだから、もちろんそのフワッとした感性で生きていくこと自体なにも間違ってはいないのだが個人的にその物言いが好みではない。当たり前にそう言う人たちも、なぜ水星が逆行するとトラブルが起こりやすくなるのかを誰もがわかるように説明できないことのほうが多い。
とはいえ私も「スピリチュアルとは何か」を言語化できる術を持っていない。
スピリチュアルという世界の素晴らしさを知っていながらも、スピリチュアルに興味がない人にその魅力を上手に言語化できないことに憤りを感じる。そんな折に、最近出会ったのが量子力学である。
|量子力学とスピリチュアルは似ている?
科学とスピリチュアルは一見、真反対の分野と思われるだろう。しかし、量子力学はどうやらスピリチュアルと共鳴する部分が多いのだ。
スピリチュアルは目に見えない世界を哲学的に語る分野であり、対する量子力学は目に見えない世界をデータ化させていく分野だ。相反するようでどこか共通点があるのは、私たちの目には見えない世界を解明するという点であり、その手法がロジカルであるか、ラテラルであるかという違いなだけなのかも知れない。
私は元来、ラテラル思考が強かったため不透明な問題についてロジカルに展開していくことにやり甲斐や学びを感じる。余談だが、ファッションライターとして編集者さんから支持をいただけている理由は、「感性で語られるファッションをより論理的に展開してくれるその分かりやすさが良い」ということらしい。
ロジカルでラテラル。
これが私の目指すところなので、興味のあるスピリチュアルという分野においてもロジカルに展開できたらと思っていた。となると、私が今もっとも学びたいのはかつて苦手だと自負していた科学の分野だったのだ。不思議なものである。
一方、私は美術も好きである。そしてその美はどこからくるのだろう?という疑問を解明しようとすると、その答えは数学に行き着いてしまうのだ。相反する分野と思っていたものが、結果的に共通している点があるのだからこの世は本当に面白いなぁとしみじみ思う。
なるほど。レオナルドダヴィンチが、画家であり、天文学者であり、数学者であるのは、単に天才だからというのではなく多分恐ろしいまでに知的好奇心と探究心があったからなのだろうな。いや、それを天才というのか。。
何にしても今、私が勉強したいのは量子力学である。
しかし、量子力学の“り”の字もわかってないから、とりあえず語れるようになるまであと10年はかかるだろう。しかし、私が感じているこの面白さ、どうにかして死ぬまでに私なりの形で発信していきたいものだ。
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