可能性と方向性

こんばんは

sumiです。


昨晩、ついに

周りに対する

羨ましいという気持ちから

解脱できたという

話をしましたが


これにあたって

もう一つ大切なことを

お伝えできればと思います。


私が

周りに対して

無駄に羨ましいと

思わなくなったのは


その人は

自分が目指している目標でもないし


ライバルだと思っていた人は

競争するような人ではなかったと

自分の中で確信が持てたからです。


それは

自分がなりたいものを

明確にすることができたから。


だったのですが

絶賛、自分の将来に迷っている人は


自分のなりたいものの

方向性を定めることができないことが

何よりの悩みなんですよね。


なぜ自分の方向性が

定められないのか。


それは

方向性を定めることで

自分の新たな可能性を

失ってしまうのではないかという

不安。


若い時は

若いというだけで

未来がありました。


才能なんかなくたって

若いうちから

何かを続ければ


それなりに形になるもんです。


だから若い人は

何にだってなれる未来がある

と言われます。


でも、若い人は

何にでもなれるからこそ

何になりたいのかわからない。


選べないんです。


これは人によっては

30歳過ぎても悩むかもしれません。


30歳だって

長い人生でみれば

若いですものね。


だけど

選べないから

選ばない。


そうやって

方向性を定めずに

生きていくと


結局自分が何をやって

生きていきたいのか

わからなくて


いつまでも

いつまでも

フラフラすることになります。


今まで出会ってきた人の中には

私より10歳も20歳も年上の人が


自分の将来像が見えないと

悩みながら


ポーラセーツ習ったり

マヤ歴の占い師になってみたり

ヨガ教師を目指したり


色々と短期間で

手を出しては次へ、次へと


何かを求めるように

何かになろうと

一生懸命走っていました。


好奇心や探究心があって

素晴らしいことだと思いますが

私にとって、その人たちは

魅力的には映りませんでした。


結局何にもならずに今も

何かを探しているのか


やっとの想いで

何か夢中になれるものに

出会えたか


彼女たちの現在が

どうなのかは、わかりません。


ただ、私は彼女らと同じく

何にも定まらない自分自身に

苛立ちを覚えていました。


「一体、私は、何が、したいの?」


問い続けた結果

なんか色々やってみたりも

したんですけれど


結局続けていることって

小さな頃から変わらないんですよ。


昔から

文章書くの嫌いじゃないし。

自分の言葉で誰かを励ますのが好きだし。

短い文章で端的に伝えるのも好き。


マンガもずっと好き。

絵を描くことだって

うまくできないけれど

これだけは一生やめられない。


人間好きなものって

そう何個も持てるものではないのかも。


探せば探すほど

子供の頃に自分が愛していたものに

立ち返っていくというか

それが正しかったんだろうなと。


今、まさに腑に落ちているところです。


で、でね。

自分の可能性を信じることも

とても大切なんですが


その可能性を信じるってことが

なんなのかについても

ぜひ深掘りしてみてください


例えば

・周りにすごいと思われたい

・生き生きしている人に見られたい

・若々しく見られたい

・同世代より勝ち組にいたい


そういう欲が先行しすぎると

確実に迷走します。


自分がどう生きていきたいのか。

上記のような欲を持っていきるのも

モチベーションの一つですが


それに捉われすぎると

結局自分のしたいことがわからない。

ようは方向性を定めることができなくなります。


結局どうなりたいの?

結局どう生きていきたいの?


何度も、何度も

問いかけ続けていった

その先にやっと


あぁ私は

こうやって生きていたかったんだ。


そう腑に落ちる瞬間があります。

その瞬間を体感したら


あとは迷うことなく

自分の人生で目指すべき

方向性を定めて


まっすぐに生きていくことが

できるんじゃないかなと思います。







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