痛みを感じることが存在意義になる話


こんにちはsumiです。

先日のいじめ記事を書いていて

ちょっとハッとしたことがあるので

懲りずにまた書きます。


すいません。


いじめられている人が

いじめられている自分に

慣れてしまうというパターンがある。


以前の記事でそう書きましたが

心が不安定な方が自傷行為をするのは

こういう気持ちとつながっているのかな?


と、ふと感じました。



・痛い

・辛い

・悲しい

・悔しい

・ムカつく

・怖い


こういうなるべくなら

体験したくないことを

人は無意識下では

求めてしまう傾向があるのかも。


だって

負の感情だって感情の一つで

心が動かされることによって


なんとなく

「生きている」ことを実感しませんか?


あらちょっと

危ない考え方ですね。

やりませんよ、もちろん。

危ない行為は。


でも

こう考えてみては

どうでしょう?


登山家はなぜ

山を登ると思いますか?

危険を冒してまで

山を登る意味は?


様々理由はあるでしょう。

しかし、その1つの中には


今日明日

死ぬかもしれない

えげつない緊張感と


結果、

生きて帰ってこられたと言う

とめどない安堵感。


これを数日〜数週間で

体感するわけですよ。


この感情は

体験した人にしかわからないけど

麻薬並みの、えも言われぬ快感を

覚えてしまうものではないかな。


ごめん、体感してないから

わかんないんだけどね。


でもそれくらいの快感じゃないと

また行きたいって思わないじゃない。


平穏な日常。

特に安全な日本では

危険なところなんてほぼない。

(あっても気づかない・気づく力がなくなってる)


だから

生とは真反対の死の予感を

経験することで


生きていると実感することもあるし

痛みもそれに似た感覚で

良くも悪くもアドレナリンが出る。


いじめられることに

慣れてしまう方は


身近な日常で

心の深い部分が毎日

生きて、死んで

生き返って、また死んでるんだと

そう思います。


だから一種の快感にも

似たような気持ちで

自分がそういう扱いにされることを

心のどこかで、それでいいと思ってしまっている

そんなような気もしてきました。



また、周りからそういう

扱いを受け続けていると

確実に錯覚を起こしてしまうよね。


あ、私は

その程度の人間だもんね。

そりゃみんないじめるよね。

ウンウン、なるほど、って。


いじめだけでなく

家庭環境からそうだともう本当に

大きく考え方が変化してしまう。

本当に怖い話です。


そんな

意図しない成長を遂げた方に


・頑張ればいいことあるって!

・いじめられる方が弱い

・なんとかなるよ


なんて言葉は

本当にナイフだから

気をつけてくださいね。


できれば理想は

愛されて育った経験を

たくさん持つことなんだろうけれど。


全員が全員そうなれないから


痛みや否定が

自分の存在意義になっている方は

他の存在意義となれるものを

いくつも見つけてほしい。


1つに依存しすぎると

ちょっと壊れちゃうかもだから


何か自分が没頭できるほどの

表現できる世界を見つけてみると

気持ちのぶつけどころが見えるから

いくらか楽になれるのかな。


アーティストに

いわゆるメンタルが弱い方が

多いのはこういう傾向もあるのかもだね。


繊細がゆえに表現できることがあるし

悲しいけれど、そういう才能を思う存分

発揮して、たくさんの人に認められて

悲しい経験の分以上の幸せを手に入れて

もらえたら素敵だなぁって思いまするぞ。



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