夫のために作るより、私が私のために作った料理が美味しいという話。


昨年の初秋、人生初の一人暮らしを始めた。結婚するまで実家暮らしで、結婚と同時に家を出て。。それから離婚をして実家に戻っておよそ1年半。35歳という年齢にも関わらず一度も一人で生活をする経験がなかった私は初めての一人暮らしであることに気づいた。


掃除が好きだということ。

料理が好きだということ。

花や植物が育ってくれることに喜びを感じること。


今までなんとも思っていなかった生活の全てが愛しいと感じるようになった。もっとも大きな発見は夫のために作った料理より私が、私のために作った料理の方が何倍も美味しくできたことであった。


「しなくちゃいけない」からの解放


結婚していた時は夫が生活費を多く払ってくれていたので

基本の家事は私がするものと考えていた。


手伝って欲しいとも思っていなかったし、やりたくない時はやらなくて良いという夫の寛容さに救われて不満はそこまでなかったように思う。しかし毎日、日が暮れるたびに「そろそろご飯の支度をしなくちゃ」と、気分ではない日でも無理に頑張ろうと気張っていた。

疲れて料理をしたくないという理由で外食した日はした日で「怠惰な理由でご飯を作るのを休んでしまった」という罪悪感に駆られる。そして無駄な外食費を使っては反省するという始末だ。


料理はするもの。楽しいと感じる日もある。

だけど、面倒くさい。

今までの私の料理に対する価値観だ。


それが一人暮らしを始めたら嘘のように料理をするのが楽しくなったのだ。私が食べたいと思うものを、私が作りたいと思うタイミングで自由に作っていいのだから当然と言えば当然かもしれない。不思議なのは料理のスキルも上がったということ。


これまでは調味料を目分量で入れると大抵味で失敗していたのだが、今は目分量で調味料を入れても、レシピを自分好みの味付けにアレンジして作っても大抵美味しく作れる。実際に美味しいかどうかはわからないが、きっと私が私に満足できているのだろう。


|誰かのためじゃなく、私のためが「幸せ」


一人暮らしをしたら親のありがたさが良くわかる。


時にこの言葉を耳にするが、私に至っては親に有り難さを感じるより先に一人暮らしの開放感に浸っている。一人暮らしを始めて「全部、親が面倒見てくれてありがたかったなぁ」と思える人や実家が恋しくなる人は、恐らく実家である程度自由にのびのびと暮らしていた人なのかもしれない。


私の場合は、キッチンを使うのもお風呂に入るのも、私が自分のお金で買ってないものすべてを使うのにもどこかで「使わせてもらっている」という遠慮があった。これからは誰に遠慮せずともいいんだと思うと、そこに多少の不安もあれど幸せしかない。そう、たぶん本当は私ずっとこうしたかったんだと思う。


今まではこんな私が自活していけるかという不安。

いつ仕事が切られたら…と思う恐れ。

そういうのが先決して踏み出せなかった。


だけど、一人暮らしをしたことでようやく誰かに遠慮する人生でも、誰かのために生きる人生でもなく本当に本当の意味で私が私のために生きる人生を歩めたような気がする。きっと、いまのこの私の姿を10年前の私が見たら誇らしく思うだろう。


好きな仕事で、自分らしい働き方で、自分一人で生活ができている。

私が子どもの頃から望んでいた幸せが今ここにあるから、毎日の生活の営みすべてが愛おしく感じるのだ。私が望んでいた幸せって、誰かと結婚して子どもを持って…っていう世間一般に言われる幸せではなかった。


私が私のために美味しい料理を作る。

私が私のために選んだインテリアに囲まれる。

私が私のために選んだ好きな人と時々、同じ時間を共有する。


そんな生活から生まれる幸せの循環を糧にして、それからやっと初めて誰かのために役に立つ何かをしたいと思うんだ。




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