ファッションの差別用語、正すべきか否か。
原稿作成のためにネットリサーチをしていたら
興味深い記事に辿りついた。
どうして私はこう
やらねばならんときに
こういう感情を掻き立たせられる
記事に出会ってしまうのだろう。
仕事が進まないではないか。
本編はファッション用語として
使用されている言葉は時として
差別用語が含まれていることを問題視した記事だ。
洋服とは人の歴史とともに成り立つ存在ゆえ
人種差別的背景から生まれた洋服があるのは至極当然だ。
本編で登場している
「ホーボーバッグ」「 ハーレムパンツ」も
元を正せば、かつて不平等な生き方を強いられた人々が
身に着ていた服装をファッションとして昇華しているとのこと。
記事を執筆したサラ・ラファエルは
そういうファッションがあることが問題なのでなはく
手軽に扱われるファッション用語の不適切さを
見直すべき時代に来ているという。
|言葉を見直す意味
これを読んだ私個人の意見としては
ファッション界で取りざたされる言葉が
直接的に人を不快にする差別用語か…と
言われると正直現段階ではあまりピンと来ない。
果たして「ハーレムパンツ」を耳にして
イスラムの女性が傷つくのだろうか。
その名前が生まれた起源はあまりにも古く
今を生きる人間にとって差別という認識を持つ人は
おそらく少数派と思う。
これをいうならば、それこそ問題視すべきは
「ギークファッション」という名前のほうだ。
ギークはオタクが着ている服装から着想を得た
ファッションルックであり、これもある意味では差別用語の一つ。
そう、廃止すべき差別は一つ一つを正しても
こうして新たに生まれていくもの。
正し切れるようなものではないのだろうか。
そもそも人間とはそういう醜い生き物だ。
|遺すことでより良い未来を作る
この呼び名を変えることは私にとって人が犯した
負の歴史に蓋をするような行為にも見えるのだ。
なぜ、ホーボーバッグが生まれたのか。
なぜ、ハーレムパンツが生まれたのか。
その真実が新しいキレイな言葉によって
意図を捻じ曲げられて存在していくと
未来の人にその真実が伝わりにくくなってしまうのではないだろうか。
社会とは今を生きる人々のためにある。
もちろん今を生きる人々にとって不快なものは
見直すべき議論があるだろう。
だが、ファッションは人の歴史そのもの。
私たちが生まれる百年も前の人々が
生み出した歴史を語り継ぐために
直すべきものと直さずにあるがままにすべきものが
あるのではないかなと思うのだ。
|ファッションから歴史を考える
よもや当時の社会現象で生まれた差別用語は
もはや風化してしまった。
ならば、その歴史を正しく理解するために
そのままにしておくという在り方があっても良いと思う。
人が犯した罪によって生まれた差別。
人が犯した罪によって強いられた労働。
その不条理な世の中を強く生き抜くために
そこに「ファッション」があったのだし
過去のデザイナーたちは彼らの真実を
ファッションという形で世の中に発信したから
今の私たちが生きる平等な社会が生まれた。
私はホーボーバッグを持って
生活をしていた人のことはわからないけれど
ハーレムパンツをはいていたイスラム女性たちが
当時、何を思っていたのもわからないけれど。
このファッション用語の存在によって
百年近く近くも前の人に思いを馳せることができる。
そして今現代も新しいファッション用語が作られて
私が死んだ何百年も未来を生きる人が私たちの生きる“今”に
同じように思いを馳せてくれることを想像したら
なんとも感慨深くなった。
何はともあれこんなに考えさせられる記事を書く
サラ・ラファエルという女性に敬服するばかりだ。
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