ネガティブを発信するのは良いこと?悪いこと?
こんにちは、sumiです。
私というブランドで
ご飯が食べられるようになる
例えばモデル・俳優・タレント
こうした仕事の方や
画家・職人・コンサルタント
という方も
私というブランド
その身、1つでご飯を食べています。
もちろんこれ以外にも
いわゆるフリーランスと言われる
職業のほとんどがそうですよね。
この生き方、すごく自由です。
誰かに何かを決められて
生きているわけではなく
自分でルールを作ればいいので。
でも、一方で
困ったこともあります。
それは
仕事とプライベートに
境界線がなくなること。
タレントさんなんかはそうですよね。
プライベートも仕事の一つになっている。
だから24時間
仕事も仕事じゃない日も
誰かに見られている
「私」というブランドを
キレイに構築し続けないといけない。
有名人でなければ
プライベートを気にしなくても
良いと思われるかもしれないが
実はそうじゃない。
例えばこのブログ。
知り合いにも教えてないけど
私の記事をどこかで見た人は
私のクレジットにサイトのリンクを貼ってるので
そこから見られるようになっている。
でも、私はここを
あえてプライベートな記事にして
特になんの意図も目的もなく
だらだらと思うままに書いている。
言い換えればここは
私のプライベート空間。
なのでたまに
キレイじゃないことも
書いています。
それを誰にでも
見られるようにするというのは
ある意味で自分の心をさらけ出している
そういうものです。
そして、その負の部分は
もしかしたら見る人によっては
気分の良いものではないし
仕事を頼みたいのに
こういう人ならちょっと嫌だな
やめておこうかなと思う一端にも
なっているかもしれません。
しかしそういった
ネガティブも全て含めて
「私」というブランドであり
あるがままの一人の人間として
生きて、感じて、考えているから
これをあえて公的な場所で
お見せすることには
個人的には意味のあることだとも
思っています。
というのも
私は好感度を大切にする
タレントさんでもないし
何かイメージを守らなくちゃ
いけない仕事をしているわけではなく
この世の中に揉まれながら
生きる一人の人間として
ライターという仕事をしています。
自分の心で感じることが
そのまま仕事になっているわけで
だからこそ
こんな人間が書いてるのか。
こんなキャラクターなのか。
と興味を持ってもらえるには
キレイに見える部分だけを
着飾る必要もないかなぁと
もし、それで誰かに何か
迷惑をかけるようなことがあれば
ブラインドにしますが
ある程度
素の部分を見せるのも
私というブランドを作る上では
必要なことなのではないでしょうか。
...なんて思うようになったのも
ライターの仕事を始めてから。
記事の80%は
私の本音で出来ていますが
20%は媒体の色・媒体の目的を
考えていわゆるどう「ウケるか」を
意識して書いているので
本当に今これを書きたい!
と思ったことをそのまま媒体を通して
書いているわけではありません。
自分の書きたいように
書いているだけでは媒体を
自分の思うがままに
振り回しているだけの行為で
編集部にとって迷惑な記事にしかなりません。
記事1つ1つの根本は
自分が大切にしているテーマだけど
自由に書けるかといったら
そうじゃないことに
私自身、苦しくなっていったんです。
そこでここを
あえて何のルールもなく
自分がパッと思い浮かんだことを
思うまま、ダラーっと書くと
ストレスが消化されるんですね。
言いたいけど
制限があって言えないリアルを
発信することで
さらに新しい創造性が
湧き上がる。
あえてそれを
見せる必要があるのかどうか
といったら多分、賛否両論あると思います。
あくまで私個人の意見としては
公的機関にネガティブを見せてもOK。
と思ってます。
ただしそれが
意味のあることならば。
意味のある内容で意味をもたせて
読んだ人が「そういう考えもあるか」と
何か考えられるキッカケになっていれば
良いと思います。
ただの愚痴・ただの不満を
だらだら書くのは
読む相手にストレスを与えるだけなので
気をつけたほうが良いでしょう。
ただ、ネガティブな感情も
人間としての当然の感情。
それをあなたなら
どうクリアにするか
どう乗り越えるか
その姿、その思考を
全て開示して
物語として完成できていれば
個人的には特に問題はないのかなと
思います。
私がそれをできているか
...といえば難しいところですが^^;
でも、そういう視点で
良いことも悪いことも
全てをさらけ出して書いています。
皆さんは
何のために
どんな目的で
発信をしていますか?
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