言葉は「誓い」である
言葉は「誓い」だと思う。
好きという言葉を口にするのは
相手のためでなく、自分のため。
私はあなたが好き。
私はこれが好き、あれが好き。
その好きと位置づけた人や物を
私は愛します、と。
他でもない
自分自身に誓っているんです。
好きよ。好き。
口にするたびに
じんわりと熱がこもる。
誰かを安心させたいために言うのではないのよ。
誰かにわかってほしいがために言うのでもないし。
信用してほしいわけでもなければ
同じだけの愛情を返してほしいのでもない。
ただ、私が私に誓いを立てているだけ。
あれが好きなの。
そう、好きなのね。
やっぱり好きだと思う。
うん、いいと思う。
そういう対話を
自分自身と繰り返しをしている。
ただ気をつけなければいけないのは
自分で自分に誓いという暗示をかけすぎて
言葉にとらわれ、自らで底なし沼にハマってしまう
そんな事態にもなり得る。
本当はもう好きじゃないのに
好きっていい続けなければいけない。
誰もそんなこと強要していないのにね。
そうして本当は見なくてはいけないものに対して
見ないふりをして、自分から不幸になっていく
そういう選択をする人もいる。
だから大事なのは
自分の心に正直になること。
そして言葉にして誓いを立てるときは
心と言葉が必ず一致している状況でなければならない。
好きじゃないのに好きと言う。
好きなのに好きじゃないと言う。
言葉は誓いであり、魔力が宿っているから
そんな間違った使い方をすると
望まぬ形で自分に返ってくる。
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