心配って、自己愛でしかない。
突然ですが、私。
「心配」という言葉が好きではありません。
いいえ、そんな生温いものじゃないわね。
むしろ嫌いです。
心配って言葉をもらって
嬉しい人っているのでしょうか?
もちろん心を配っていただいているわけだから
そこに愛情があるのは分かってはいるけれど。
でも
「あなたが心配なの」という言葉には
あなたは一人で生きられない
そんな危うさがあるから不安なの
そう言われているようで。
そして側から見た私がそういう風に見えるときに限って
そんな風に言われるものですから。
余計なお世話だ。
放っておいてくれ。
と内心で反発してしまうのよ。
それを反抗的とか子どもみたいと
言われ続けてきて
自分でも自分がそうなのかな?
と自信が持てず
相手の「心配だから」を浴びて
口をつぐんで自信をなくしてた。
私は、私が選んだ選択に対して
失敗しようが、転ぼうが、後悔しようが
それは私の人生であり、私が納得した上で
選んだのだから、そこに
「あぁ、もうほらほらこけるこける!」と
野次を飛ばしてくれなくて結構なのです。
転んで起き上がるのもまた人生でしょう?
勝手に心配をして
それゆえに私にアドバイスという名の
行動制限をかけようとするのは
私への愛情ではなく
あなたが安心したいがための
自己愛でしかない。
親兄弟だからといって
恋人だからといって
友達だからといって
私が失敗するのを制止していい理由にはならないの。
だからお願いよ。
私の失敗も含めて
それがあなたの選んだ人生なのだから
好きに生きて、好きにしなさいと言ってよ。
その自由に対して責任を持って生きていく私を信じてよ。
私はそういう愛情を人に示したいと思うの。
もちろん、それが正しいかどうかなんてわからないけれど。
ただ、
家族にしても友達にしても恋人にしても
自分の元に帰ってきたときに
穏やかな笑顔で「おかえりなさい」と
迎えてあげられる
そういう優しさと愛情を体現できるようになりたいの。
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