寂しさとの付き合い方


人は寂しさを感じる生き物だ。

その思いはみんな、平等だと思う。


寂しく感じないという人も

そう見せないだけか

その時、そう感じていないだけで

寂しさを感じたことがない人はいないだろう。


「あぁ、私には何かが欠けている」

「あの人は、満たされていていいなぁ」

「寂しさを感じないほどに誰かが愛してくれたなら」


私もこんな寂しさを感じた経験がある。

いつかこんなことを考えた。

「寂しいのは、私に生涯の伴侶がいないからだ」と。


長く彼氏がいなかった時、自分が誰にも選ばれない寂しさがあって

ただ、ただ結婚をしたかったという時期があった。


友達も家族もいるのに。

好きな仕事をしているのに。

なぜか寂しい、苦しい。

人知れずお風呂場で泣いていた。


困ったことにこの寂しさというのは

時に人の心をじわじわと蝕んでいく。


この寂しさを埋めるために

本当に愛していない人と体を重ねる人もいる。


この寂しさを埋めるために

手頃な相手を見つけてマウントを取る人もいる。


この寂しさを埋めるために

モノ・コトに依存をする人もいる。


私の場合はというと

寂しいと感じる時に限って

手頃な相手も見つからず

何かに依存できるだけのお金もなく

ただ、ただ、寂しさに耐えるしかなかった。


そしてようやく寂しさを感じなくなった頃、

結婚というイベントが自分の身に降りかかってきた。

昔、切望していた願いがやっと叶うときだった。


これで私は寂しくない。


結婚してしばらくは安定した心持ちでいられた。

経済的な不安はあれど、一生誰かと生きていける

そう思うと心が驚くほど穏やかになれたのを

今でも覚えている。


でも、それも最初の半年くらいだけ。

夫との間に問題が起きると私はまた、寂しさを感じるようになった。


今度は独りの寂しさではない。

一緒にいる“のに”、寂しい。


独りの寂しさも辛いが

好きな人と分かり合えない寂しさは

また違った辛さがあった。


かけがえのないパートナーといれば

私は満たされる。


心のどこかでずっとそんな浅はかな気持ちが

真実だと信じてやまなかったのだろう。


人は結婚しても、子どもを産んでも

寂しさからは解放されないという大切な学びは

結婚をしたからこそ身を以て知れた。


そう、寂しさは他の誰でもない

私自身の心が作っているからだ。


私が誰かにわかってもらいたい気持ちを持つ時。

そしてわかってもらいたい気持ちを理解してもらえない時。

辛いと言葉にできない私の存在に気づいて欲しいと

傲慢に考えている時。


決まって私は自ら“寂しさ”に支配される。


でもね。

それは悪いことではないんだよ。


寂しさはあって当然なのだ。

だって私たちには一人として全く同じ人間が

存在しないのだから。


同じタイミングで、同じ気持ちを

同じ価値観で同じ目線で理解し合うなんて

無理でしょう?


だからあなたのことを

本当に分かってくれる他人はいない。

それを寂しく思うのはごく自然なこと。


大事なのは、その寂しさと

どう共存していくかなのではないかな。


私が寂しさに支配された時。

私は自分の中にある“寂しい”という感情を

認めた上で生きていきたいと思うの。


もちろん、何をやっても寂しさを

なくすことはできないから。


自然と心が回復するまで

寂しさとともに生きていく。


大丈夫。

私たちはそのうち

寂しい気持ちから回復できることを

知っているから。


それで、大丈夫。



だけど不思議なんだけど

そうやって寂しさを認めて共存していくと

自然と寂しさに支配されなくなるの。


私は孤独だけど、今はもうそんなに寂しくない。

もちろんバイオリズムがあるからね。

うまくいってないことが2つ、3つと続けば

多少の寂しさや悲しさに見舞われるだろうけれど。


でも、それに囚われることがないの。


寂しいという感情が苦手な方ほど

実は寂しさを体感しきるということが

何よりも大切なのかも知れないね。









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