丁寧に生きる
およそ1年近く放置していたブログ。
また書く気になったのは
大好きな友達がこのブログを
読んでくれていたから。
私、あんまり自分で
自分の宣伝って好きじゃなくて
大々的にブログ書いてるよー!とか
言えない人間なのだけれど
でも、大事なお友達が
たとえ数分でも大事な自分の時間を
使ってクリックして記事を読んでくれて
それだけでも嬉しいのに。
素敵だったとさえ私に伝えてくれて。
おぅ、、本気で良い友達もったよなああ(泣)
友達によって「書く」ことにに支えられている
そんな毎日です。
ありがとうマイフレンド。
(締めがダサい)
さて今日はね、なんぞ最近思うこと。
丁寧に生きるってなんかね?
てことを話したいと思う。
|自分と向き合う・丁寧に生きる
けっこう長い間、私は私と
長く向き合いつづけてきたと思う。
何が好きだの、好きじゃないだの。だの。
こういう暮らしがしたい、この暮らしは嫌だの。
だから自分を知ることについては出来ている
そういう自負があったと思う。
でも、「丁寧に生きているか?」と問われれば
そこに自信のある「イエス!」は、出てこない。
雑に生きているわけじゃないけど
丁寧ではないかしらね。
そんな感じだった。
だからその、人が言う
丁寧に生きるがなんなのか
分からなかったの。
|それは、「私に時間を使う」という意味
それが最近になって
どういうことか理解したのだ。
丁寧に生きるとはそれすなわち
「私が私のために使う時間」である。
みなさん、時間って誰のために使ってる?
仕事のため?家族のため?友達のため?恋人のため?
一見それらも全部引いてみると自分のための時間かもしれない。
でも、誰かに何かに気を使って会う。
そして家路に帰り、玄関のドアをパタンと締めるなり
ハァと深いため息をつき、泣きそうな自分ががそこにいるなら
自分のために使っているつもりになって
本当は誰かに支配されているのかも。
(と、自分でそう感じているのかも)
|私が気持ち良いことが大事なの
かくいう私は
よくそういう気持ちになるので
ちょっと疲れたなと思ったら
リセットをかけることにしている。
人に会わない、話さない。
好きなものを作る、食べる。
心地よい時間の中にいる。
そのためにかけるお金は気にしない。
お金がなくても、気にしない。
あーーーーーー、気持ちい。
って感じるまで
何かをやるし、やらない。
すると気づけば元気になってる。
|暮らしの面倒さすら愛しい
さらに最近はこんな変化もある。
毎日朝起きたら、トイレ掃除と部屋掃除をする。
ついでに鏡をふいて、洗濯物を干す。
朝8時までにゴミを出しに行って。
それから美味しいカフェラテを作る。
在宅ワークでもお気に入りの服を着る。
これらはスボラな私にとって
とても面倒な日々の習慣。
でも、最近はその時間が愛しいのだ。
役所に行って無駄に待たされる時間だって愛しい。
前の私ならこの時間の間に仕事ができたのに!
と、イライラしていたけれど。
これらにたっぷり時間を使うことで
確かに仕事の時間は減っているかもしれない。
でも、私がそうすることで心地よいから
それでいいし、それがいい。
飲んだコーヒーのガラを天日干しさせて
なにに再利用しようかなと考える。
流し読みしていた本をもう一度丁寧に読む。
心地よい音楽に集中して耳を傾ける。
家の観葉植物に話しかけてみる。
同じ24時間を過ごしてきたはずなのに
今が一番時間の流れがゆったりしている。
けれど不思議なことにね
そのほうが仕事のペースはなんと
捗っているんだよ。
今まで何に忙しなく
時間を費やしていたのかと思うほど。
あぁ、そうか。
私いま、丁寧に生きているわ。
とね、思ったのですよ。
|暇という「人生の余白」と向き合う
多くの人はさ、暇を退屈に感じるよね。
暇を感じると、孤独になる気がするからかな。
だから暇が嫌いなんだと思う。
暇が怖いんだと思う。
仕事をたくさん入れれば暇は感じない。
そうしてワーカホリックにになる人もいる。
恋人と繋がっていれば暇は感じない。
そうして恋愛依存症になる人もいる。
趣味をたくさん作って暇をつぶす人もいるね!
私はそれを素敵だと思うけどけっこう疲れちゃう。
そんな質みたいで、趣味をたくさん持つのは無理かなぁ。
だから暇という時間と
向き合ってみているのかもしれない。
無理に予定を詰め込んだり
無理に誰かと繋がったり
それってポジティブな行為でいて
実はネガティブよりなのかもな、と。
心からそうしたいのならの別だけど。
もし、それ以外で
暇をつぶす方法が見つからないと困っているなら
その暇と向き合ってみてはどうだろう。
暇から生まれる孤独・寂しさと
丁寧に向き合うことを
誰よりも望んでいるのは
あなた自身かもしれない。
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