自分に対する愛があれば、何もこわくない。

寂しい人と出会った。その人は、仕事ができる人だ。たった1人で社会で生き抜いて、たくさんのお金を稼いでいる。そうした背景があるから自信に満ち溢れているし、周りにも人がたくさんいる。一見すれば、輝く成功者だ。でも、私の目から見るとその人はとても寂しく見える。


なぜか。その人から発せられる言葉はいつも、つねに「自分はどれだけ人に愛されているか」「どれだけの成功をおさめたか」「自分に非は存在しない」という内容ばかりだからだ。


そうやって言うことで、自分の居場所を作っているのだろう。自分がどれだけの成功をおさめたか、どれだけ人に愛されているのかを常に言葉にするというのは、どこか気持ちの内側で「自分は孤独である」ということを知っていて、いつか人が離れてしまうのではないかということに強い恐れを感じているからだ。個人的に世の中の経営者の8割はこういう人なんじゃないかなと思っている。


余談だが、私が夜の仕事をしていた時に指名をもらいやすいキラーワードとして経営者のお客様に使っていた言葉がある。「 社長という立場は本当に孤独ですよね」という一言だ。小娘がわかった風な言い方をして、イラっと感じる人もいるかもしれないが、実は経営者である当事者にはこの言葉が存外、響いた。


「そうなんだよ、独りなんだ」


と、寂しそうにグラスを傾ける。トップに立つ人間には、その人にしか分からない辛さなるものがあるし、人が離れていくことを多く経験しているだけに本当の意味で心から信頼できる相手がいないのかもしれない。それゆえに、自分がいかにスゴイ存在であるかという発言で武装をすることで、人を惹きつけたり、人を畏怖させたりするのだろう。その実、そんなことせずとも一緒にいてくれる人を求めているのに。経営者の悲しい性なのだろうか。


だいぶ話が逸れてしまったが寂しい人というのは、このように得てして自分を武装する話が多い傾向にある。それは男性も女性も。逆に、自分の弱みを全てさらけ出せる人のほうが実は精神的に強い。弱みをさらけ出しても、自分は自分。人に否定されても自分は自分。否定も孤独も恐れないから向かうところ怖いものナシというわけだ。


私としてはできるならそういう人になりたい。そうなるにはどうすればいいのだろうと考えた結果、1つの答えに至った。


自分を愛すること。


月並みな言葉だが、これに尽きる。愛される基準が「他人」ではなく「自分」だから、他人に求められなくても自分が自分を愛することさえできれば、否定も孤独も怖くなくなるというわけだ。では、自分を愛するってよく言われる言葉だが、どういうものだろうか。


私は自分の弱さを見つめることだと思っている。人は自分の嫌いな部分を認めたくない生き物だ。もちろん、私だって自分の汚い部分はできるだけ見たくない。でも、汚い部分がある、あってもいいと自覚した途端に自分を着飾ることをやめられた。すると誰と何を話しても、いわゆる心を裸にした状態で向き合っているので、無駄に緊張することもそこまでなくなってきた。


もし否定的な言葉を浴びせられても「まー、それが私だからしょうがないっすわ、スンマソン」って諦めがつく(笑)自分が自分の良い部分ではなく、汚い部分をちゃんと、しっかり認められれば、人に対して武装することも迎合することもなく本当の意味であるがままに生きられるのではないだろうか。そしてそういう人の言葉ほど、すんなり受け入れられるものがあるのかもしれない。知らんけど。






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