批判についての捉え方
Webメディアで署名記事を書いていると時々、批判的な意見や誹謗中傷を受けることがある。というのも、私が書く記事はyahoo!メディアでも取り上げられることがあって、ヤフーアプリのコメント欄がよく荒れる。し、書いてるWebメディア自体にコメント機能がついているのでそこで批判を受けることもままある。
だけど私としては批判があることをそう、ネガティブには受け取ってない。個人的には、そういう批判ですらたくさんあって良いと思って。と、いうのもなかには「おぉ、なるほど」と参考になるコメントもあるから。
例えばこないだは、自作のイラスト付きの記事がある媒体で公開されたら「イラストが古臭い」とコメント欄に書かれてあったな(笑)これに対して、ほうほう、なるほどと思ったよね。私が描きやすい絵ってちょっと昔の少女漫画っぽい絵だったりするし、こんなところにまでアラサー感が出てしまったんかと思って恥ずかしかったわw
でもね。こうやって言われたことで今の人気のテイストをもっと勉強して絵のタッチの幅を広げてみようと思ったのは事実で。もともと、別のイラストレーターさんを探して気に入った絵のタッチがあれば、よくそのタッチを真似て描くことがあったけど。
でも、それでも自分のやりやすい描き方が定着しちゃってて、なんとなしに「まー、これでいっかぁ」って思ってそのままにしてた。そんな妥協が出ていた時に「イラストが古臭い」とコメントをもらったことで「ヤバイヤバイ、アップデートしなくちゃ」と思ってテイスト変えの練習をすることにしたの。それが功をなしたのか、新しい記事では編集の方に好評をいただいたり、全く別の新しい案件でも新しいイラスト絵の評判が良かったりとおかげで良い方向に繋がれたんだ。
もちろん、ただの誹謗中傷もなかにはある。でも、その中には本当に自分にとって必要な一言も入っているんだよね。それをうまくすくい取ることも必要なのかなと今回改めて感じた。
それに批判ってそう悪いものでもないんだわ。だって、批判が起こるほど誰かが何かを考えるきっかけとなった記事を書けたわけでしょ?それが良い反応であっても、よくない反応であっても。ありがたいことに今のところ、記事の内容が薄っぺらいという批判はまだ受けてないから(多分)、批判であろうが内容のある記事が書けているということだと思ってるよ。そういう社会的な反応をみて自分の立ち位置を知るように意識している。
個人的には、誰かが議論をしたくなる記事がかけるってことに意味があると思うんよね。そういうのの小さな積み重ねで、社会の価値観って作られていくじゃない?ちゃんと自分の仕事が世の中の一部になっているんだと実感できる仕事ってそうそうないし、それも含めて有難い仕事だと思ってる。
何が言いたいかっていうと、批判や誹謗中傷されることにマイナスなイメージを持っていたり、批判する人自体を叩く風潮があるんだけど何事も捉え方次第でプラスに変わるんじゃないかなと思ったよって話。いわゆる「ブス」とか「バカ」とかそういう低俗な批判は、批判じゃなくて書く人がアホだから「ハイハイ、アホですよー」って受け流しとけばいいよー。いい子ちゃん発言かもしれないけど、本心からそう思うよー。
まぁ......でも。
良いコメントの方が何倍も嬉しいから待ってるよ!!!(笑)
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